【最多まとめ】日本で起きた未解決凶悪事件一覧|閲覧注意

解決事件の一覧ページ。

ムコQ

どうも、ムコQです。

このページでは、日本で起きた未解決凶悪事件をまとめていく。

日本の未解決事件一覧 はじめに

 殺人の認知・検挙状況の推移(昭和21~平成11年) 平成12年 警察白書 第1節 – 警察庁 より

日本における殺人事件の検挙率は、戦後一貫して約95%を推移している。もちろん、行方不明のままで認知されない事件も存在するため、実際に殺人が起きた場合に犯人が逮捕される確率はもう少し低くなるだろう。

今回紹介していく未解決事件の「未解決」の定義としては、事件を認知したものの検挙できなかった事件はもちろん、事故か事件かはっきりしないまま事故と処理されてしまったケースも「未解決事件」として扱っていく。

このページでは、戦後から時代ごとに区切って事件を紹介する形式をとった。時代の社会状況や、様々な背景を想像して事件を振り返っていこう。

1960年以前の未解決事件一覧

敗戦により社会が混乱していたこの時代には、「帝銀事件」や「国鉄三大事件」などのGHQ占領下ならではの事件が多発している。

この頃の、事件以外の出来事
  • 1952年 公安調査庁 設置
  • 1954年 ゴジラ 映画第1作 公開
  • 1955年 トヨタ クラウン 発売
  • 1958年 東京タワー 完成
  • 1960年 カラーテレビ 放送開始

帝銀事件

1948年1月26日、東京都豊島区。

毒を使った前代未聞の銀行強盗が発生。12人を毒殺し、現在の価値で約1800万円ほどの現金が強奪された。

捜査では、陸軍第九研究所が開発した毒物が関わっていると見られていたが、逮捕されたのは画家の男。

死刑確定後、男は獄中で17回も再審請求したが全て棄却。さらに歴代の法務大臣は死刑執行命令に署名はせず、事件発生から39年後の1987年5月、犯人とされていた男は病死した。

真相は闇の中だが、冤罪事件との見方が強い。

免田事件

1948年12月30日、熊本県人吉市。

午前3時に忍び込み、鉈で祈禱師一家家族をめった打ちにするという凄惨な強盗殺人が発生。

容疑者を逮捕し死刑判決が出たものの、誤認逮捕だった。 誤認逮捕を隠すため、検察が裁判中にも関わらず物的証拠を破棄していた事が、30年以上経った後に発覚。

戦後日本の四大死刑冤罪事件の一つである。 真犯人は依然不明のまま。

国鉄三大事件

1949年7月6日、7月15日、8月17日に起きた、国鉄にに関係する謎めいた連続未解決事件(下山事件・三鷹事件・松川事件)をまとめて、国鉄三大事件と呼ばれている。

当時の国鉄総裁下山定則氏の不審死、下山事件。

国鉄三鷹車庫の7両編成の無人電車が暴走し一般人6人が即死した、三鷹事件。

故意のレール外しにより脱線事故が発生、乗務員3人が死亡した、松川事件。

GHQと共産党党員間の暗闘によるものだと見られているが、真相は分かっていない。

二俣事件

1950年1月6日、静岡県二俣町(現・浜松市)。

2歳と4歳の幼児を含む、一家4人が惨殺されるという痛ましい事件が起きた。

警察と検察はあらゆる証拠を無視し、アリバイ不足を理由に当時18歳の青年を逮捕。6年7ヶ月後に冤罪が晴れたものの、真犯人は捕まっていない。

財田川事件

1950年2月28日、香川県財田村(現・三豊市)。

戦後の食糧統制事情の中、闇米ブローカーだった当時63歳の男性が全身30ヶ所を刃物で刺され、現金が奪われた強盗殺人。

警察は不良少年を逮捕し、2ヶ月に及ぶ拷問まがいな聴取の後、自白を引き出すことに成功する。証拠品を警察がでっち上げ死刑が確定するものの、34年後に冤罪が晴れた。

戦後日本の四大死刑冤罪事件の一つで、現在においても真犯人は不明のまま。

徳島ラジオ商殺人事件

1953年11月5日、徳島県徳島市。

早朝のラジオ商に何者かが押し入り、就寝中の店主を刺殺するという卑劣な強盗殺人事件が発生。一緒に寝ていた内縁の妻も負傷したものの命に別状はなかった。

1年後、捜査に行き詰まった警察に市民からの非難が相次ぎ、徳島地検が捜査の主導権を握るようになる。徳島地検は捜査方針を180度転換し、内縁の妻による内部犯だとして強引に証言を取り、内縁の妻を逮捕。

内縁の妻は15年の服役後も再審請求を出し続けたが、その度に地裁は棄却。長い裁判闘争の末、事件発生から32年後に彼女の無実が確定することになったが、その6年前に彼女は亡くなっていた。真犯人は依然明らかになっていない。

島田事件

1954年3月10日、静岡県島田市。

幼稚園の卒業式の途中で女児が行方不明になり、3日後遺体で見つかった誘拐殺人・死体遺棄事件。

当時25歳の男が逮捕され死刑判決が下されるものの、35年後に冤罪が晴れる。

戦後日本の四大死刑冤罪事件の一つで、現在においても真犯人は不明のまま…。

松山事件

1955年10月18日、宮城県松山町(現・大崎市)。

一家4人を刺殺した上で放火するという凄惨な放火・殺人事件が発生。事件から1ヶ月後、東京で働いていた当時24歳の男が逮捕され、死刑判決が下される。

その後警察による証拠品の捏造が明らかになり、事件から29年後に冤罪が晴れることになる。

これも戦後日本の四大死刑冤罪事件の一つで、真犯人は不明のままだ。

BOACスチュワーデス殺人事件

1959年3月10日、東京都杉並区。

当時27歳のスチュワーデスの女性の遺体が、善福寺川から発見された殺人・死体遺棄事件。

捜査本部はベルギー人のカトリック神父が犯人だと疑っていたが、容疑者は本国に帰国してしまっていたため、捜査は難航。

解決の手立てを奪われたまま、1974年3月10日に公訴時効を迎えることとなった。

1961年〜1980年の未解決事件一覧

この時代は、高度経済成長による大量消費社会が到来し、従来の捜査方法が通用しなくなってくる。無目的連続爆弾テロの「草加次郎事件」などが起きた。

この頃の、事件以外の出来事
  • 1961年 NHK連続テレビ小説 放送開始
  • 1964年 東京オリンピック 開催
  • 1968年 週刊少年ジャンプ 創刊
  • 1969年 8時だョ!全員集合 放送開始
  • 1970年 大阪万博 開催
  • 1971年 日清カップヌードル 爆誕
  • 1972年 札幌オリンピック 開催
  • 1976年 徹子の部屋 放送開始
  • 1979年 3年B組金八先生 放送開始

名張毒ぶどう酒事件

1961年3月28日、三重県名張市。

地元の公民館で開かれた親睦会にて、乾杯の際にぶどう酒を飲んだ女性らが次々に体調不良を訴え、最終的に5人の女性が命を落とすという悲惨な事件が発生した。

当時34歳の男がすぐに捕まり死刑判決を下されたが、裁判中では否認し続け、今でも再審請求をし続けている。

検察側の主張には疑問点が多く、事件に使われたとされる毒物での犯行は不可能に近い。死刑執行停止命令が出たかと思えばすぐに撤回されるなど、司法の判断が揺れ続けている。真相やいかに。

草加次郎事件

1962年11月4日〜1963年9月6日、東京都。

芸能人や著名人に脅迫状や危険物が入った郵便物が届く事件の”元祖”とも言うべき連続事件。

一連の草加次郎事件で13人が負傷したが、幸い、命を落としたものは居なかった。警察は延べ19000人もの捜査員を投入し、火薬マニアなどを中心に約9000人を容疑者として捜査したが、1978年に公訴時効が成立。

事件には、石川啄木詩歌集やエラリー・クイーンのミステリ新書に細工した爆弾が使われていたため、犯人は文学青年だったのでは言われているが、犯人は捕まっていない。

狭山事件

1963年5月1日、埼玉県狭山市。

高校一年生の田中善枝さんが誘拐され、身代金が要求される事件が発生。3日後、近所の農道に埋められた善枝さんの遺体が発見された。体内にはB型の体液が残されており、強姦殺人として捜査が始まる。

すぐに、遺体遺棄現場近くに住むB型男性が逮捕され無期懲役判決が下されたものの、服役中や仮出所後も一貫して無罪を主張し続けている。検察が主張する3大物証には多くの疑問が残されており、この判決を不服としたデモ行進も起きている。

さらに男性が逮捕された後、善枝さんの兄妹2人を含む関係者6人が次々と自殺。田中家の元使用人(B型)が真犯人とする説もあるが、真相は明らかになっていない。

布川事件

1967年8月30日、茨城県北相馬郡利根町布川。

近所の住人が、当時62歳の男性の遺体を発見。男性は、両足をタオルとワイシャツで縛られ、首に下着が巻きつけられ、さらに口にも下着が押し込まれた状態で発見され、死因は絞殺による窒息死。

男性2人が逮捕され無期懲役を言い渡されるも、再審が行われ、2011年に無罪判決が下された。

現場には43点の指紋が残されており、物色した形跡があるものの何が盗まれたかも分かっておらず、多くの謎を残しながら迷宮入りとなってしまった強盗殺人事件だ。

土田・日石・ピース缶爆弾事件

1969年10月24日〜1971年12月18日、東京都。

左翼思想に傾いた若者らが、国家権力の横暴に対し抗議する運動が激化していた時代。

警視庁長官や幹部を狙い、ピース缶(タバコが50本入りで販売されるときに使われる缶)にダイナマイトを詰めた手作り爆弾を送りつけて爆破するという、卑劣な事件が立て続けに発生した。計4件の爆弾テロにより警視庁幹部夫人が亡くなり、複数人が負傷した。

警察は解決を急ぎ18人の若者を逮捕したが、後に警察と検察の悪質な自白強要があったことが明らかになり、全員無罪。その後彼らの一部は国を相手取った損害賠償を起こしている。

組織的な犯行と見られるが、真犯人は結局のところ捕まっていない。

甲山事件

1974年3月17日、兵庫県西宮市。

知的障害者の施設「甲山学園」内の浄化槽から、園児2名の水死体が発見され、警察は内部犯による殺人と断定。

警察は当時22歳の保母の女性を逮捕し、激しい取り調べによって一度は犯行を自供させたものの、女性は留置場で自殺未遂を起こして以降、否認に転じた。

その後25年の間、逮捕と無罪判決を3度繰り返すという、珍しい冤罪事件である。しかし真相は未だに明らかになっていない。

佐賀女性7人連続殺人事件

1980年6月24日(最初の遺体発見)、佐賀県北方町(現・武雄市)。

半径20km圏内の11歳〜50歳の女性が、立て続けに絞殺(白骨化した遺体2名は死因不明)されるという、連続殺人事件が発生。7人中6人が水曜日に消息を絶っており、「水曜日の絞殺魔」と呼ばれた。

警察の懸命な捜査も虚しく、一連の事件は公訴時効が成立し迷宮入りとなってしまった。

青酸コーラ無差別殺人事件

1977年1月4日、東京都港区。

品川駅周辺に、青酸ソーダという毒物を混ぜたコカコーラの瓶がばら撒かれ、それを拾った男子高校生と40代男性が相次いで死亡するという無差別殺人事件が発生。さらにその後も、模倣犯と見られる犯行も含め、同様の事件が東京・大阪で相次いで7件続いた。

しかし残念な事に1992年に時効を迎え、犯人が捕まる事は無かった。

長岡京殺人事件

1979年5月23日、京都府長岡京市。

この事件は別名「ワラビ採り殺人事件」と呼ばれており、二人の主婦が残忍に殺された、猟奇的な強姦殺人事件として知られている。

単独犯か複数犯かすらわかっておらず、残された遺留品にも不可解な点が多い。1999年に公訴時効が成立した。

1981年〜1990年の未解決事件一覧

新聞を始めとする、週刊誌やテレビなどのマスコミの力が増大したこの時代には、マスコミに挑戦状を送りつけた「グリコ・森永事件」や、多数の報道陣の前で犯行が行われた「豊田商事会長刺殺事件」など、報道の目を意識した犯罪が増えた。

この頃の、事件以外の出来事
  • 1982年 NECパーソナルコンピュータPC-9801 発売開始
  • 1983年 東京ディズニーランド 開園
  • 1983年 任天堂ファミリーコンピュータ 発売開始
  • 1987年 (〜1991年)バブル経済
  • 1989年 消費税 開始
  • 1990年 任天堂スーパーファミコン 発売開始

 

 

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